京急日ノ出町から黄金町へ続く高架下。かつて売春宿が並んでいた一角があった。黄金町が暗黒街となったのは、戦後の混乱が原因だった。横浜でも特に空襲の被害が甚大だった一帯はスラムと化した。戦後、横浜市内には駐留軍施設が置かれ、黄金町は米兵向けに非合法の売春が行われる「青線」地帯となった。米軍撤退後も売春宿は残り、それが黄金町に暗い影を残していた。1963年公開の黒沢明監督の映画「天国と地獄」では、誘拐犯がヘロインを使って薬物中毒の女性を殺害する舞台として描かれた。
黒澤明の「天国と地獄」そのままのまち黄金町
2002年には、街に250を超える売春宿が散らばっていたという。20数年前の話だ。そんな昔ではない。乱れた街に我慢できなくなった地元住民が初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会を発足させたのは2003年。2005年1月11日、神奈川県警が、街中に広がった違法店の一斉摘発を行った。
なぜ黄金町と日ノ出町はアートの街になったか?きっかけは横浜トリエンナーレ
横浜の高校に通っていたけど、この地域に足を運んだことはない。今なら怖いもの見たさの好奇心もあるが、当時はそんな生優しい場所ではなかった。
アートの街宣言
かつての売春宿は、今は「アートスタジオ」になっている。なぜ、アートだったのか?2005年の横浜トリエンナーレが開幕する頃、黄金町では売春宿一掃を目指す神奈川県警の「浄化作戦」が行われていた。横浜トリエンナーレのデイレクターであるY氏が黄金町にやって来たのがそのタイミングだった。それから20年、街の景色は変わった。しかし、街は生き物、Y氏は今でも固い決意を口にする。「続けていくことが大事、もし、アートが消えたらもとも怪しい街が復活する可能性だってある。」
トリエンナーレアーカイブはこちら
https://www.yokohamatriennale.jp/archive
さらに「売春街が消えたら、アートは役目を終えた」と言う行政の姿勢だってなくはない。Y氏が事務局長を務めるNPO法人「黄金町エリアマネジメントセンター」の取り組みに終わりはない。
今年の夏も恒例の「夏休み子どもバザール」が開催される。町との触れ合い アートとの触れ合いにぜひこの街に触れてください